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東芝の粉飾決算

東芝の粉飾決算

こんにちは、日経225先物 無限攻略の225 えびすです。

連日報道されている東芝の不正会計問題。

画像の説明

東芝の歴代3社長が揃って辞任することになった同社の3年間1,500億円にも及ぶ粉飾決算問題を、ほとんどのマスコミは「 企業統治 」のあり方を問うという論点で報じております。

しかし、これは疑いもなく「 原発スキャンダル 」 だと思います。

日本最大の原子炉・関連機器メーカーである同社が政府・経産省と一心同体となって「 原子力ルネッサンス 」 を推進しようとして福島第一事故で挫折、稼ぎ頭だった原子力部門がほとんど頓死状態に陥る中で、海外に活路を求めて悪あがきした挙げ句にその巨大損失を何とか世間の目に触れさせまいとして前代未聞の虚飾に走ったことに根本原因があると思われます。

辞任した歴代3社長のうちキーマンは佐々木則夫副会長。

なでしこジャパン監督と同姓同名のこの人物は、原子力事業を東芝の主柱の1つにまで仕立てた功労者で、03年に電力システム社の原子力事業部長に就いて以降、05年に東芝常務、06年に兼電力システム社長となって米ウェスティングハウスの買収=子会社化という大勝負をやってのけ、それをバネに07年に専務、08年に副社長、09年に社長と、1年刻みで階段を駆け上って、東芝の頂点に立ちました。

リーマン・ショック不況の中、09年3月期の決算では営業損益2,500億円の赤字を出したが、同年6月に社長となった佐々木氏は「 15年度に原発事業の売上げ1兆円 」 と、得意の原子力を主軸に経営を立て直す大方針を打ち出しました。

この時が彼の人生の絶頂だったかもしれません。

その大方針が成果を上げ始める暇もない2年後、11年3月11日に福島第一原発の爆発事故が起きて地獄の底に落ちることになりました。

東京電力として最初の原発基地となった福島第一の1号機はGE、2号機と6号機はGE・東芝、3号機と5号機は東芝、4号機は日立が手がけており、ここは言ってみれば東芝・GE連合にとっての「聖地」 でした。

それが吹き飛んだわけです。

佐々木氏は、政府・東電の要請を受けて750人もの専門家・技術者のチームを編成して事故処理に当たると共に、メルトダウンを起こして未だに人が立ち入ることが出来ない建屋内に送り込むロボットの開発や、多核種除去装置ALPSの開発と建造にも取り組むが、いずれも失敗の連続でした。

ALPSは、毎日300トンずつ増え続ける高濃度汚染水から、現在の技術では除去が困難なトリチウムを除く62種類の放射性物質を吸着・分離させて、一応無害ということになっているトリチウムを含んだ処理済みの水を海に流すという仕組み。

しかし、これに対しては、トリチウムの生物学的な毒性について全く無害とは言えないという説があり、それを基準値の10倍も含んだ処理水を海に放出することには、専門家から「設計のコンセプトそのものがおかしい」と強い警告がなされており、また実際に放出について漁業関係者などから同意を取り付けられていません。

が、それにしても、東芝製のシステムが試運転と故障を繰り返して今以てまともに作動していないのに対して、後から投入された日立製のほうが役に立っていると言われる体たらく。

こうして、福島事故のA級戦犯の1人に列せられておかしくない佐々木氏ですが、そうは簡単にはあきらめない。

第2次安倍政権が誕生するや、13年1月には早速 「 経済財政諮問会議 」 の2人の民間議員に三菱ケミカルの小林喜光会長/経済同友会代表幹事と共に名を連ね、14年9月には小林と2人揃って 「 産業競争力会議 」 の民間議員に移り、それを通じてアベノミクスの「成長戦略」の中に原発再稼働と海外への輸出を柱として織り込むよう奮闘しました。

もはや「安倍総理と最も親しい財界人」となった佐々木氏は、13年6月には東芝の副会長になると同時に経団連の副会長にも就任し 「 次期経団連会長候補 」 に名を上げられるまでになりました。

世に「原子力ムラ」と言われるが、その骨格をなすのは

電力会社や東芝はじめ原子炉・発電機メーカーなど産業界
経産省はじめエネルギー庁・規制庁など官界
東大工学部原子力学科を中心とする御用学者群
──の産官学のトライアングルです。

原子力の裾野は広く、原子炉などの機器メーカーだけでなく、素材や部品をつくる鉄鋼・特殊金属メーカー、大規模工事を請け負うゼネコン、燃料の輸入や原発の輸出に携わる大手商社、それらの金融を受け持つメガバンクなどはみな広義での原子力関連産業であり、それは実は、ほぼそのまま、経団連の中心企業なのです。

かつて「 経団連御三家 」 と言えば東芝、新日鉄、東電(今や東電にかわってトヨタか?)で、中でも東芝は 「 経団連を作ったのは我が社 」 と言い出しかねないほどの強烈な本流意識を抱いてきました。

それはある意味で当然で、経団連の初代会長は石川一郎氏(日産化学社長)で、後述のように彼こそが「原子力ムラ」の基礎を築いた中枢人物なのですが、その後を受けて1956年に第2代会長に就いたのが石坂泰三(東芝社長)で、68年まで12年間君臨して「財界総理」という称号をマスコミから与えられました。

1代おいて74年から80年までの6年間、第4代を務めたのが土光敏夫(東芝会長)で、そうしてみると復興から高度成長に向かい、石油ショックをも乗り越えてさらに前進した戦後日本経済の最も輝かしい時期の財界トップを東芝出身の2人が計20年間も占めていたことになります。

その後、会長の座は稲山嘉寛(新日鉄)、斎藤英四郎(同)、平岩外四(東電)、豊田章一郎(トヨタ)、今井敬(新日鉄)、奥田碩(トヨタ)、御手洗冨士夫(キャノン)、米倉弘昌(住友化学)、榊原定征(東レ)と遷移して、東芝に戻ることはありませんでした。

それだけに、東芝にしてみれば3人目の経団連会長を出すことは悲願で、実際、00年に東芝の社長から会長になった西室泰三氏(現日本郵政社長/70年談話有識者懇座長)も、その直系で次の次の社長・会長だった西田厚聡氏(今回相談役を辞任)も、東芝会長の任期を伸ばすなどしてさんざん足掻き回ったが、届きませんでした。

パソコン・半導体など軽電部門出身の西室氏・西田氏からすれば、重電部門から駆け上がってきてしかも原子力で巨額損失を作りだした張本人である佐々木氏が、自分らを差し置いて財界トップの座を手に入れることだけは許せなかった、という経営陣内部の嫉妬狂いが、このスキャンダル暴発の一因だったと言われています。

さて、石川一郎氏は、戦時中の化学工業統制会の会長を務めた化学工業界のトップリーダーで、戦後、一万田尚登=日銀総裁の推挙で初代の経団連会長となりました。

東電の取締役でもあった彼が、熱心に取り組んだのが原子力産業の導入と育成で、経団連会長だった時代に日本原子力研究所理事長となり、55年には米政府が旗を振った 「 原子力平和利用国際会議 」 の日本主席代表としてジュネーブに赴きました。

56年に経団連の会長を石坂氏に渡すとすぐに、正力松太郎=科学技術庁初代長官を委員長とする 「 原子力委員会 」 が発足し、石川氏が委員長代理となった。

つまり、日本の原子力体制は、政界では正力氏、財界では石川氏を中枢とし、その石川氏が経団連の会長に東芝の石坂氏を、経団連の実質的ナンバー2である評議員会議長に東電の菅礼之助会長を、それぞれ据える恰好で始まったのであり、また石坂氏と土光氏の20年の後には引き続き新日鉄が2人で10年、その後に東電が4年、経団連会長を務めることになったのです。

経団連とは、一皮剥けば原子力ムラそのものなのです。

だから、もし佐々木氏が次期経団連会長に登り詰めることが出来ていれば、それある意味で順当というか、一皮剥けば原子力ムラという経団連の「本質」に相応しい人事。

しかし運命は皮肉で、佐々木が 「 次期経団連会長候補 」 と言われ出した時にはすでに原子力は、まさに東芝の炉がもたらした福島の大惨事によって、日本ではもちろん全世界的に退潮が始まっていました。

それを何とかして食い止めようとすればするほど東芝の赤字は膨らんで巨額粉飾なしには体面も取り繕えないまでに傷が広がってしまい、最後は安倍晋三首相の政治力にすがって切り抜けようとしたのに、今では安倍の政権自身がどうなるか分からなくなってきております。

東芝の破滅と佐々木氏の失脚は、佐々木氏と組んで原発再稼働と輸出促進を、JR東海の葛西敬之名誉会長と組んでリニア新幹線と新幹線輸出を、「 成長戦略 」 の2本柱にしてきた安倍総理にとって片足がもげるほどの大打撃であり、だから官邸は「東芝のことは早くなんとかしろ」と焦っているわけです。

恐らく、東芝が3人目の経団連会長を握る日は、2度と訪れてこないかもしれません。

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